3月11日を忘れない

区切りの10年を迎えました。

みなさまの10年前の3月11日はいかがでしたか?

私の実家は宮城県の南部になります。

小さいころ祖父と一緒に釣りをした懐かしい場所

仙台空港も何回か利用したりしました。

その近隣のものがすべて波にのまれてしまった・・・

その頃の私はすでに横浜におりました。

サラリーマンを早めにリタイアし、次になにをしようかと

研修を受けたり、海外の仕事をしていたころでした。

研修が終わり、自宅に戻るときに地震がきました。

関内近くにいましたが、周りのビルが揺れて私自身が

体を保つのが精いっぱいで、揺れていたビルがぶつかる

ような気がして、これで世の中は終わってしまうのでは!

と恐怖におののきました。

自宅も食器から本から粉々になっていた3月11日

幸いに実家は無事でしたが、懐かしい場所や大切な方々は・・

すぐに車で故郷に行きましたが・・・なにもできませんでした。

そして、その後その現実から逃げて何年も訪問することはできません

でした。

数年前、やっと実家(現在は空き家)や墓参りに行けるようになりました。

少し暗くなってしまいましたが、サラリーマン時代は阪神淡路大震災

に関わり震災後2週間ほどテントのようなところで泊まり仕事もしました。

新潟在住のときに新潟地震にも遭遇し、亀裂の入った高速道路を走ったり

しました。

一つの旅館の再生にも少しだけですが関わらせていただきました。

水の出ない生活を3日ほどしました。

そのころに比べれば、年を取りましたが安定した生活を送れることに

感謝するのみです。

このまま、だれも悲しむことのないよう、穏やかな暮らしができる

よう心から祈ります。

今、元気で店で営業させていただけることに改めて感謝する

3月11日でした。

みなさまも元気で健やかな日々をお過しください。

 

 

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