3月11日

私は東北、宮城の出身です。

すでに直系の親族は宮城にはほとんどいなくなりました。

しかし幼いころの大切な思い出は東北の地にあります。

両親というより、私の祖父母との思い出です。

私にとってすでに思い出の地になっていますが、

その思い出の地は様々な形で変化しています。

もう昔にもどることはできなくなってしまいました。

そのなかで、個人的にどうしても許せないことがあります。

ここではこれ以上お話はいたしませんが、そのことを考えると

14年たった今も許すことはできません。

ここではふさわしくない話でした。

幼かった思い出の地が、震災で被害を受けていくことは仕方ない

部分とあきらめなければならないと思っています。

子供のころの思い出はきれいですから・・・

普通の生活で、いつも思い出しているわけではありません。

しかし、このような記念日になると・・・苦しいです。

震災ではなく明らかに人災の部分が今もそのままに放置されている。

その矛盾について責める資格は私にはありません。

なにもせず、ただ見守っているだけなのですから・・・

しかし、そんな被害を出しておきながら平気でいる企業や人がいる。

むずかしいことはわかりません。

こんな記念日だからこそ・・・忘れないようにしなくては・・・

普段の生活がとても幸せだから・・・

そのことに感謝し、犠牲になられた方々のことは決して忘れない

そんなことを考える一日でした。

日本で平和に幸せに暮らせていること・・・

私など社会に貢献することなどなにもできてないにも関わらず

平穏無事に生活できていることに心から感謝しながら・・・

老後を生きていきたいと思います。

あの懐かしい生活、きれいなふるさとは私の胸のなかに

あるのですから・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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